
こんにちは!
りんご(Instagram @lingo1003020)です。
朝、「夢じゃないのか」と落胆しながら目覚めていた日々が過ぎ、あんこの朝ごはん催促の声にほほえましい気持ちで起きられるようになってきました。
6年前の弟を亡くしたときより少しだけ、回復が早い気がします。

それでも、まだまだ泣かない日はありません。
朝ごはんは3つのお皿に用意しているし、「あんもなーずのためにエアコンつけてかないとね」なんて言ってしまいます。
薬袋を見て、酸素室が置いてあった場所を見て、「頑張ったね」と声をかけ、涙ぐんで(いや、号泣して)います。
もなかの写真や動画を見返さない日はありません。
そして、一緒に写っているわたしたちの若さにも驚きます(笑)
それだけ時間がたったんですね。

11年半も一緒にいたのだから、悲しいのも寂しいのも想定内。
それでも、もなかとの別れはいままで感じたことのない喪失感があります。
それで、いままでの猫たちとのお別れの経験を振り返ってみて気づいたことがありました。
これまでお別れしてきた猫たち
わたしはこれまで4匹の猫を看取ってきました。
といっても、実際に一緒に暮らしていた猫は3匹だけ。
1匹は、近所のおばあちゃんが施設入所となり、我が家で預かり(といっても昔なのでエサやりだけ)していた子です。
ミケル(1988年~2000年)
どの猫たちも思い入れがありますが、「ミケル」というわたしたち家族が初めて一緒に暮らした猫はひときわです。
わたしが小学校1年生のころに通学路で出会い、ついてきてしまったのでそのまま家で面倒をみるようになりました。
そこから2000年まで、わたしが18歳になるまでを、弟は3歳から15歳までの多感な時期を一緒に過ごした猫です。

死因は猫エイズによる口内炎悪化…と思われます。
毎月痛み止めの注射をしにいっていましたが、ついにきかなくなり、家の庭にある池で水を飲んでパタリと倒れて、大きなあくびをして、そのまま硬くなっていったそうです。
(弟とご近所のおばあちゃんが看取ってくれました)
看取ってから上京したものの、ずっとこの別れが忘れられず、その後10年くらいは家族みんなで「ミケルに会いたいね」とずっと言っていました。
弟が亡くなったときも「ミケルと一緒にいるよね」と言うことで少しだけ心が落ち着きました。
家族4人で暮らした最初で最後の猫で、わたしやオトートの猫への並々ならぬ思いをはぐくんでくれた恩師です。

シロチャ(2007年頃~2010年)
次の猫は、わたしが20代のときに一緒に暮らした猫「シロチャ」。
そのとき実家で暮らしていたのですが、冬の寒い日、突然家に入り込むようになり、そのままなし崩し的に家族の一員に^^;
喧嘩をふっかけられても非暴力・不服従。
顔の毛をむしり取られても一切抵抗しないガンジーのような猫で、実際よく近所のお寺2~3軒を行脚するという不思議な猫でした。
最初はわたしの寝床で、次第に母の寝床で寝るようになったシロチャが、わたしの寝床に戻ってきて、「珍しいな」と思った翌日のことです。
朝ごはんを食べたらパタリと倒れ込み、そのまま立てなくなりました。
病院に連れていったらひどい貧血で手の施しようがないとのことで、自宅で看取りを選択し、その2日後くらいに亡くなっていました。
仕事のため、わたしはその瞬間は見られなかったのですが、目を閉じてまるで眠っているような穏やかな顔でした。

きんちゃん(2007年頃~2011年)
近所にヤンチャな野良猫がいるなあと思っていたけれど、試しにちくわなんかをあげたらそのまま居ついてしまい、じゃあ去勢手術をしてやろうということで手術をしたら、まんまと家に居座るようになった猫、「きんちゃん」。
欽ちゃん走りのように横になって庭を突っ切っていくから「きんちゃん」でした(笑)
シロチャのことを目の敵にしていましたが、去勢手術をしたことで丸くなり、ついには2匹で一緒に暮らすように。

それでも、シロチャが亡きあとに、喧嘩が起きたら外に飛び出していき、そのときのキズが骨まで到達してしまったことが致命傷となって2011年の10月に亡くなりました。
わたしはこのとき日本におらず、家族が看取ってくれたのですが、「きんちゃん」と声をかけると、寝たきりのままか細い声で「にゃあ…」と鳴いていたそうです。
シロチャも、きんちゃんも野良猫として突然現れて、一緒に暮らしたのは数年だけでしたが、最期は飼い猫として看取り、手厚く埋葬しました。

リュウちゃん(2006年~2008年頃)
リュウちゃんというのは、近所のおばあちゃんが飼っていた子です。
その方が施設入所となり、泣く泣く我が家に世話をたくし、引っ越していったのですが、もともと中外飼いだったので懐くはずもなく、エサやりだけ世話をしていました。
ところが、ある日玄関先のベンチを見るとぐったりとしたリュウちゃんが。
慌ててかけよると、もう立ち上がりもできず、「にゃ…にゃ…」と細い声を出しながら不規則な呼吸を続けていたのですが、その数分後くらいに息をしなくなり、体の力がぐにゃりと抜けていきました。
人でも、猫でも死ぬ瞬間を見たのはこれが初めてだったのですが、昔大学で学んだ「死は生の逆ではなく連続した一連の流れだ」という言葉を思い出しました。
正直、リュウちゃんに思い入れはあまりなかったのですが、最期のさいごで何かを教えてもらいました。
闘病・病院での死というもなかのこと
そんな感じで、以前の猫らとのお別れはもう、15年以上も前のことです。
猫を取り巻く状況も、この10年で大きく変わりました。
完全室内飼いが当たり前になり、ペットフードも高品質なものが増え、猫の寿命も格段に伸びました。

ここにはないのですが、2025年の完全室内飼いの猫の寿命は16歳を超えたそうです!
昔は、動物病院って「具合が悪いときに連れて行くもの」だったと思うんです。
それが、最近では健康診断が当たり前になり、あんもなももちろん、年に1~2回のワクチンと健康診断に連れていっていました。
そして、病気がわかった4月から、もっと言えば、どうも様子がおかしいと気づいた2025年の6月から26年7月までずっと、動物病院にお世話になりました。
猫飼い歴30年近くになりますが、酸素室のレンタルなんていうのも初めての経験でした。

薬袋や投薬器を見ると、切ないけれど懐かしい気持ちになるのは、もなかもわたしたちも一生懸命生きてた証拠だからかなと思います。

そう、いままでの猫たちは、獣医さんから「もうもたないでしょう」と言われ、諦めて自宅で看るだけでした。
もなかの場合は、病院で亡くなりました。
そこに強い思い入れがあると思いますが、それだけではありません。
もうだめかもと思ったときにも夜間病院に行き、そこで一命を取り留めていただき、さらに動物病院で週1~2週間に1度の通院を頑張って頑張って、そして、亡くなりました。
医療の進歩もあるのだと思いますが、本当に頑張り屋の猫でした。
人間の時間で2か月半、猫時間にしたら1年弱を一生懸命闘病して命を燃やしきってくれた猫です。
さらに言えば、初めての室内飼いで、自分が中心となって面倒を見た初めての猫があんこ&もなかです。
兄弟猫として家に迎え、2匹いつも一緒にいる姿を見てきた猫です。
そんな大切に育てていたもなかが、一緒に頑張ったもなかがいなくなって平気でいられるはずがないのですよね。

時間薬がきくのを待つしかない
もなかを亡くし、「あんもな」という兄弟猫も亡くしてしまったようで、悲しみが倍に感じられます。
弟を自死で亡くすという経験をして、たくさんの方から「時間薬ときぐすり」という言葉を教わりました。
とにかく時間がたつのを待つしかない、なんとか耐えるしかない、と。
生きていると、嵐が去るのを待つように、じっとしているしかないときもあります。
いまは、ただただ時間が過ぎるのを待つしかないのだなと、40半ばにしてやっと思えるようになりました。
けれども、こんな悲しみを味わったからこそ、感じられることもあります。
時間を待つ、そのときに寄り添ってくれる人のいることの、なんとありがたいことか。
両親や家族を亡くした経験のある友人たち、ペットロス・家族との死別を語ってくれる本の作者さん、会ったこともないのに誰かを喪うという経験でつながっているネットの皆さん。
いつも本当にありがとうございます。
このブログも、わたしと同じような立場の方に届いてほしいなと思っています。
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
\このブログはDIVERを使って作成しました!初心者でもサポートがあり安心◎/
ワードプレス(WP)初心者でもメールで丁寧なサポートがあるので安心◎
ご使用のサイト数に応じてお選びください!
▼
▼猫飼い人気記事▼
▼育児系人気記事▼
【インスタ(日常アカウント)】
✨猫飼い・育児のおすすめアイテム楽天ルームでご紹介してます✨
Amazonはこちら
▼おすすめ商品多数紹介してます▼






